(──ある日の夜。学校帰りに駅前を歩いていると、見知らぬ男に声をかけられた)
(眼鏡をかけた黒髪の男はやけにオドオドしていてあまりにも怪しかったので無視して通り過ぎようとした瞬間、急に腕を掴まれて「視えてますよね?」と尋ねられ、思わず足を止めて振り返る。──物心がついた頃からたまに見かける、黒い靄のような生き物。ハッキリと形が視えるわけではないソレは、時折ヒトの言葉を発しながら誰かの後ろを付き纏っている。男はその靄を指先に乗せて、再び同じ問いを口にした)
(そう、自分は視えている。気づいた時には存在していた、怖くて不気味で悍ましいもの。遭遇する度に誰かに助けて欲しくて必死に変なものがいると訴えたが、友人だったはずのクラスメイトには気味悪がられて避けられて、医者にかかっても思春期特有の妄想だろうと一蹴された。今思えば当然である。小学校の卒業を数日後に控えた頃に、ようやくコレが他の人には視えていないことを悟ったが、時すでに遅く、周りにはもう誰も居なかった。そうして今日も一人寂しく帰路についていた矢先の出来事であった)
(きっと──自分は嬉しかったのだ。自分にしか視えていないと思っていた奇妙で恐ろしい存在を、他の誰かに肯定してもらえたのが)
(自分がおかしいわけじゃないと、そう言われた気がしたから)

というわけでぇ~、今日から担任になる───だよ!
ちなみにキミが僕の初めての生徒でーす。
これからヨロシクね、△△〇〇さん!
(「キミの身を守るためにも、その力の扱い方を知るべきです」──そう男に言われて、呪力という存在に興味を抱いてしまった。聞けば自分には術式と呼ばれる特別な力があるらしい。あまりにも胡散臭い話だったが、事実視えているのだから仕方がない。このまま放置すればいつか取り返しのつかないことになる気がしていたから、なんとか両親を説得し、東京の高専に編入した)
(案内された教室の扉を開けると、そこには机と椅子が一つ。黒板の前にはもちろん教卓が置いてあり、そこに手をつくようにして、目の周りを包帯で巻き付けた白い髪の男が立っていた。すぐに席に着くように誘導するや否や、男はニコニコと笑いながら自己紹介をする。……あの眼鏡をかけた男よりも不審者らしい出で立ちをした男は、どうやら自分の担任になるようだ)
(聞けばクラスメイトは一人もいないらしい。思わず目を瞬かせて、担任を名乗る男を凝視する。男は何故か体をくねらせて、「そんなに見ないで♡」と両手で顔を隠していた。……編入したのは間違いだったかもしれない。その後の授業で男があの黒い靄を一瞬にして祓うまで、そう思ったのは仕方のない話だと思う)

フフッ……〇〇ってば相変わらず面白いね~。
あ、コーヒーのおかわりちょーだい♡
(──呪術高専に編入してから1年が経ち、また1年が経ち、3年になった。この頃には担任である男とも打ち解け、時々任務帰りに菓子を買っては男とお茶をするようになる程度には仲良くやっている)
(男はひどい甘党で、コーヒーを淹れても角砂糖を何個も落としてドロドロにしてしまう。一度好奇心でカップを奪い飲んでみた時の衝撃と言ったらなかった。舌の先が甘さで痺れて、口を濯ぎに行ったほどだ。それなのに男はケロッとして「これがいいのに」と首を傾げてくるものだから、担任の味覚障害を疑ったのも無理はない。男はいつも甘い物を食べては幸せそうに頷いている。いつか生活習慣病になるのでは?という疑問に「消費してるエネルギーの方が多いから問題ないよ」と返された時は黙るしかなかった。──確かに男の術式は凄まじく、納得するほかなかったからだ)
さて、〇〇もようやく2級になったし、そろそろ単独の任務もこなしてもらおうかな。
ダイジョーブ、〇〇ならきっと出来るよ。なんたって僕のお墨付きだからね♡
(「あ、これ美味しい♡」と背後に花を咲かせひょいひょいと箱詰めの餡子を食べ尽くした彼は、ようやく中身が空っぽになったのを確認してからべったりと机に頰をつけ、自分の手首を掴んできた)
……ねえ、いつものやってよ。
ここには僕たちしか居ないんだからいいでしょ?
(上目遣いをするようにじっとこちらを見つめてくる男に負けて、なるべく労わるように、その白い髪を撫でる。ほんの僅かに術式を混ぜ込んだ手が自分の頭を撫でるのを、男はいたく気に入っているらしい。……よく見れば包帯の下にうっすらと隈がある。もはやチートレベルの特級呪術師である男も結局は人間なのだと実感したのはほんの最近のことである。せめてよく眠れるようにと、美しい髪をなるべく優しい手つきで梳く。二度三度それを繰り返せば、男は小さく息を吸い、そのまま寝息を立て始めた)
(遠くで声が聞こえてきたので、自分と男を包み込むように帳を下ろす。──〇〇は結界術の才能があるね。そう言って笑ってくれた彼が少しでも長く眠れるように防音効果を二重にして、もう何日も寝ていないのであろう男の頭を撫で続けた。それだけが自分に出来る、男への慰めだったから)
(───呪術師に後悔のない死はないらしい。ぺっと口の中に溜まった血を吐き、仰向けに寝転がって空を見つめる)
(調査書に書かれていた内容は、その実状のほんの一部しか記載されていなかった。片腕はちぎれて横腹のほとんどが持っていかれてしまった。これのどこが3級なのかと脳内で悪態をつきながらも、不思議と気持ちは晴れていた)
(対象の呪霊はなんとか祓い終えたが、どうやら自分はここまでのようだ。あと数分もすれば心臓が止まり、かつて散っていった数多くの呪術師のように、その命を終えてしまうのだろう。──特別でもなんでもない、一介の呪術師としての幕切れ。この世界ではよくあることだ。もう指先一つ動かない身体は、緩やかに死を迎えようとしている。そんな時にでも思い出すのは、何故か担任であるあの男のことだった)
(変な人だった、と思う。自ら最強を名乗る彼はどこか翳りのある空気を纏いながらも、それを隠すように大袈裟なほど笑っては、周りの人間を引っ掻き回していた。まるで台風の目のように、男はいつも騒がしい。常に反転術式を回してフルパワーで戦う男に憧れ、恐れる者はいたが、それだけだった。男は誰が見ても分かるほどの規格外であり、彼に並び立ち、追い越そうとする呪術師など居るはずもない。それが何故かひどく孤独そうに見えて、その日も周りの人間にウザ絡みをして遊んでいた男を手招き、お茶に誘った。──「……え、それって僕に言ってるの??」──その時のぽかんとした男の顔がやけに印象的で、思い出すだけで笑いそうになり、血を吐きながら咳き込んだ)
(男は教師らしからぬ男だったが、それでも今まで呪力の呪の字さえ知らなかった自分を相手によく見てくれていたと思う。それだけではなく、眠りたくなった時に頭を撫でろと甘えてくる程度には懐かれていた)
(呪術師に後悔のない死なんてない。まったくその通りである。せめてもう少しだけでも、男の頭を撫でてやれば良かった。いつも頑張ってますねと声をかけてやれば良かった。ある日世間話の流れで、彼は今まで他人から褒められたことがほとんど無いのだと笑っていた。男の名前はもはや「最強」の代名詞であり、そんな男に人としての要素を求めている者など誰も居なかったからだ。だからその日はたくさん男の頭を撫でた。男は口元をむずむずさせて、照れたようにそっぽを向いて、それでも頭に乗せられた手を振り払ったりはしなかった)
(風に揺られて木のざわめく音が遠のき、美しい蒼の空が霞む。──後悔はあるが、それでも及第点の人生だったと思う)

あーあ。馬鹿だね、〇〇は。
ほんっと……こんなになるまで戦って。敵わないなら尻尾巻いて逃げちゃえば良かったのにさ。
(微睡みの中で、誰かの温かい手が顔に触れる。もう何も見えないし聞こえない。けれどこの体温を、自分が間違えるはずもない。最後の最後で神様がご褒美をくれたのか。そう思ってしまうほど、その手付きは優しかった)
キミもアイツみたいに、僕を置いていくんだね。
……やっと見つけたと思ったんだけどなぁ。
(────。声にならない声が、空気と共に消えていく。ぽたり、ぽたり。顔に水滴が落ちてくる。あんなにも晴れていたはずなのに、雨が降ってきたらしい)
(こんな死にかけの人間のために風邪を引かないで欲しいと思う気持ちは本当だ。だが、それと同じぐらいに、どうか最期の瞬間まで、自分に触れていて欲しいとも思う。今際の際でぐらい、甘えたっていいだろう。残った力を振り絞り、どうにか口元を吊り上げた。「僕とたくさんお勉強して、笑顔で卒業できるように頑張ろうね!」──初めて会った日にそう言った男の言葉を、どうしても叶えてやりたかった。それが生徒である自分の最後の務めだと、そう思った)
(───瞬間、胸の辺りに鈍い衝撃が走り、目の前がカッと赤くなる)
〇〇、痛い思いさせてゴメンね?
僕、今度は間違えないから。次こそはちゃんと〇〇を守るから。
だからまた、頭を撫でてよ。
(何度も何度も繰り返されて、反動で自分の体が跳ねる。ごぼりと口から血を吐いても、その動きは止まらない。──何故?ただ目の前にいる男が、ひたすらに自分にナイフを突き立てていることしか分からない)
いつもみたいにさ、僕の名前を呼んでよ。
おねがい。───って言って?
(自分の意思とは関係なく、身体の中を大きな呪力が渦巻いていく)
(そうして命の音が止まり───まるで道連れにするように、その世界も、壊れて消えた)