名前:トワ・ハーシェル

子供に間違えられた回数91回

えへへ、やったね

全身茶色…チョコレート??

「高松琴平電気鉄道3000形は、琴電の前身である琴平電鉄が西暦1926年に5両が日本車輌で製作された電車で、開業時から活躍してきた。
3000形を名乗りながら3桁番号となっており、車両番号も300・315・325・335・345と、300号以外はすべて1の桁が5に揃えられているが、この独特な付番方法についての資料は空襲によって焼失しており詳細不明となっている。
琴電1000形とよく似ていて、モーター等も1000形と共通であるが、正面に台枠が露出していない等、少々異なる部分もある。
側面扉の引き込み部の窓は丸窓となっていて、デザイン、車両スペック共に大手私鉄にも引けを取らない大変な意欲作であった。

戦時中の戦災被害は無かったが、当時の駅員の手記に、駅はずれに疎開した事によって空襲の被害を免れた300号の事が記された資料が残されている。

戦後になって近鉄から20形がやって来た為、琴平電鉄由来の琴平線から志度線に活躍の場を移し、更に車体の疲弊が目立ってきたので西暦1966年から更新修繕を実施した。
その際に運転席の狭さを改善しようと、315号の運転室を拡大。
運転台後ろにあった側面扉が、窓一枚分後ろに後退した。

西暦1976年からは志度線の他、長尾線にも活躍の場を広げて、同時期から前面貫通扉と側面扉を新品に交換。
更に1983年からは、連結相手の車両を牽引する為に335号と345号の足回りを取り替えてパワーアップ。
この足回りは名古屋鉄道から譲り受けた物であった。

西暦1999年、新型車登場によって、345号が廃車。
2003年には残っていた4両の内、先の足回り取り替えの対象外だった300・315・325号が足回り取り替えを行いパワーアップ。
また足回り取り替えを済ませていた335号についても足回りが再度交換され、この時点で活躍していた4両は阪神電車由来の足回りに統一された。
それと同時に、300号については更新修繕で失われた側面扉横の丸窓を復元している。

依然として活躍していた3000形であるが、新型車が増えると共に順次引退していき、西暦2007年に全車が定期運行を終えた。
しかし、琴電創業時から活躍する電車だった為に300号は保存用として、団体列車やイベントで以後現在まで活躍している。
そして西暦2021年11月、その300号による保存運転も終了して引退する事が決まり、約95年もの活躍に終止符が打たれる事となった。

ただし、現役引退後も工場内入換用として残る事が決まっており、まだ暫くはその姿を見る事ができる。」


また履歴書みたい詳しく書いてあるねぇ…

え?
あのイベントに使ったのもこの電車だったの??
琴電3000形