冥府の夜は、いつも通り静かだった。
火の光だけが、広い寝室の空気をわずかに揺らす。
旅人はベッドの上に胡坐をかきながら、目の前の椅子に腰掛けた魔女神に微笑みかけた。
その瞳には、どこか戯れを含んだ光が宿っていた。
「魔女神って僕のこと好きだよね?」
「!?」魔女神はびくりと肩を震わせる。
みるみる赤くなる頬、口をあわあわと開き、目を見開く。
直ぐに顔を伏せるが、動揺したその姿は彼女が旅人をどう思っているか一目瞭然だった。

「あ、あの……それは…っ…
///わ、私だって女ですから──」
「じゃあもし、他の女の子にも“ありがとう”って言って、頭撫でたりしたら……どうする?」
魔女神の言葉を遮って言い放つ。
その瞬間。
慌てた様子の彼女の身体がぴたりと静止する。

「……」
「なんて冗談だよ」
旅人は軽く笑いながら手をひらひらと振った。
しかし──その笑みは、彼女の中に火を灯してしまった。
「……冗談……ですか……」
「……そうやって、からかえば私がどんな風になるか、分かっていて……」
魔女神の声が低くなる。

「……ねえ、旅人さん。あなたは……私のことを試しているんですか?」
彼女の呼吸が浅く、熱を帯びていくのが分かる。
ふだんはか細い声の彼女が、今は抑えた怒りと何か別の感情に突き動かされている。
(──あっ、まずい)
旅人は思った。けれど、もう遅かった。

「……ふざけないでください」
椅子から立ち上がった魔女神が、ゆっくりと近づいてくる。

「そんな風に……あなたが“他の誰か”に目を向ける想像だけで……胸が、焼けるように痛いんです」
「なのに、あなたは……そんな言葉を、笑って口にできるんですね……?」
「いたずらに、わざと嫉妬心を煽ろうと……なさるんですね……?」

細い指が、旅人の襟元に伸びてくる。
冷たい。けれど震えている。
──怒りと、欲望に。
「……そんなに……意地悪を言うなら……」
魔女神の顔が、旅人のすぐ目の前まで迫った。
長いまつげが頬に触れそうなほどの距離。
その瞳は昏く、彼女の唇はわずかに開かれて、熱い吐息がこぼれている。

「あなたが……どんな顔をするのか、確かめたくなってしまいました……」
「その口で……今度は、私の名前を呼んでください」
「もう、“冗談”なんて言わせない」
その言葉と同時に、魔女神は旅人に覆いかぶさるようにして身を寄せた。
その細い体からは信じられないような熱が伝わってくる。
怒っているのに、興奮している。
突き放したいのに、触れたくて仕方ない。
──彼女の心の中は、もう飽和していた。
「冗談でも……他の人を思い浮かべるなんて、絶対に許せません……」
「旅人さんは、私のものなんですから……」
その囁きは、甘く、けれどどこか哀しくて──
だからこそ、旅人は何も言えず、彼女の腕の中に体を預けるしかなかった。
こりゃもう下腹に顔を埋めてゴメンナサイするしか無いじゃん…!