「──おい」

 急に声をかけられて振り向く。『彼』だ。
 というか、この家には自分と彼以外いないのだからわたしに話しかけてくる相手なんて分かりきっているが。
 彼は右手をこちらに向けていた。何か、包装紙に包まれた箱のようなものを持って、それをこっちの眼前に差し出している。

「何……?」

 言っても何も返ってこない。無言の圧。ただ黙ってわたしを睨むように見続ける。
 この目は苦手だ。彼のこの曇天のような薄暗い色の瞳でじっと見つめられると、何もしていないのに見下されているような感覚になり萎縮してしまう。実際見下されているんだろうけど。
 このままお互い黙り続けていても埒が明かないので、諦めておとなしく受け取ることにした。
 丁寧にラッピングされてあるが、中を見ないとこれの正体が分からないのでさっさと包み紙を開ける。丁寧に剥がしていたつもりだったが少し破れてしまった。
 ──『BATH BOMBS』と、箱の表面には小さくそう書かれていた。
 ……ばす、ぼむ? ああ、バスボムか。

 え? なんで?

 顔を上げてこれの贈り主を見る。けど、彼は相変わらずのっぺりとした無表情でそこに突っ立っているだけだ。わたしは視線を僅かに泳がせながら再び箱に目を落とした。
 なんで急にこんなものを、と、一瞬思ったが、彼はときどき急に思いついたようにわたしに贈り物をしてくることを思い出した。服や髪飾り、あとネックレスなんかも時々。
 だから今回のもいつものソレだろうか──と思いながら蓋を開ける。
 中はやっぱり大体想像どおりで、綺麗なパステルカラーの球体がそこにいくつか並べられていた。素敵な香り。華やかな色合いのせいか、ぱっと見アイスクリームチェーン店のアイスにも見えるような。

「食うなよ」

 肩が少し跳ねる。心を見透かされてるのか、それともわたしはバスボムを見ながら涎でも垂らしていたのか。
「食べないよ!」と叫ぶように言い返し、気付かれないようこっそり口元に手を伸ばして確認する。……うん、涎は出ていない。良かった。
 そこでふと気付く。
 あれ、そういえば今日って──

「ね、もしかして……これってホワイトデーの……?」

 彼を見上げて尋ねると顔ごと視線を逸らされた。沈黙。無言は肯定と捉えていいだろう。
 なるほど。今回のプレゼントはそういう理由があったのか。まさかお返しが貰えるとは思ってなかったし、それを期待してチョコを渡したわけではないけど……まあ、わざわざ用意してくれたなら貰っておこう。突き返す理由も特段ないし。
 ありがとうと礼を述べ、再びバスボムに目を向ける。さっそく今日使ってみようかな。入浴剤は普段から色々使ってるけど、この手のタイプのものは久しぶりだ。それこそ、こういう贈り物をされたときくらいしか使わない。可愛いし、いい匂いだけど、こういうのって意外と自分じゃ日常使いはしないんだよなあ。シンプルにお値段けっこうするしね。

「今夜はどれ使う」

「えっ」

 おもむろに近づいてきて箱の中のバスボムを覗き込んだ彼はこっちも見ずに言った。

「もう湯沸かしてる。どれがいいんだ」

 ここに連れてこられた日から今まで、ひとりで入ったことなんて片手で数えるほどしか無い。
 だから……まあ、やっぱりこうなるのか。







 いい匂い。さくらのバスボム。
 お湯の温かさも相まってうっとりしてしまう。気持ちいい……お花見しながら温泉に入ってるみたい……。
 目を閉じて夢見心地になっていると、背後から聞こえてきた男の低い声で強制的に夢から醒まされた。

「おまえ、花見は好きか」

 薄く目を開ける。せっかくいい感じにお花見温泉気分を楽しんでいたのに。邪魔されて若干恨めしく思いながら「好きだよ」と短く返した。

「お花見っていうか……桜は好き。夜桜も……」

「ふうん」

 ふうんて。そっちから聞いてきたのになんて興味なさそーな声を出すんだ。
 眉根を寄せるわたしの胴体に腕を回していた手を自分のほうに引き寄せながら、彼はわたしの耳元でぽそりと呟いた。

「なら、今度見に行くか」

「えっ」

 本日二度目の困惑声。

「お花見行くの?」

「花見っつーか、もう2週間もすれば見頃になるだろ。公園とか川沿いで」

 彼がわたしの首筋に鼻先を埋め、すう、と軽く息を吸い込んだ気配がした。

「出かけたついでにでも、見に行ってみようぜ」

「……うん」

「夜桜も、」

 ──おまえが見たいなら、連れて行ってやる。
 首元に熱い吐息がかかった。
 彼にもたれかかり、目線を落とすと薄く透明なピンク色に染まったお湯が目に入る。それと、わたしと彼の脚も。

 出会いと別れの季節がやってくる。
 わたしと彼の間にも、いつか別れがやってくるのだろうか。
26ホワイトデー