「あれ、先生いないな」
「……」
「まぁいいや。来たら説明すればいいし」
保健室に着いて、彼はあなたの背中を支えながらベッドに誘導した。
「まだ吐き気する?」
「……う、ううん。あんまり……」
「そ。水、飲めそ?」
「あ……うん」
「ちょっと待ってて」
彼は短くそう言って保健室から出て行った。
ベッドに横になりながら待っていると、数分後、彼が戻ってきた。両手にペットボトルを持って。
「一旦起きれる? 口の中気持ち悪いだろうから、良ければどうぞ」
「え……わざわざ、買ってきて、」
「いいから」
キャップを開けてからあなたに渡す。
申し訳なくて少し考えたけど、飲まないほうが悪いよね、と思い、水をひとくち口に含む。
……おいしい。口の中が潤って、吐瀉物の気持ち悪さが若干マシになった気がする。
「熱は無さそうだけど、一応測っとく?」
「ううん……大丈夫。……風邪、とかじゃから」
「そ。なら寝てな」
彼は淡々とそう返して、保健室のソファに腰かけた。ぐびぐびと、あなたに渡したほうとは別の水を飲んでいる。
「……あの、」
「ん?」
「ごめんなさい……それと、ありがとう」
「……ありがとう、だけでいいんじゃない?」
「でも……、すごく迷惑かけたから。あんな……」
先程あったことを思い出し、ベッドから慌てて身を起こす。
「わたし、あんなっ……! ジャージに、吐い……あれ、岸本くんの……」
「落ち着けって。別に、いいから」
「いいって……そんなわけ、」
「いいんだって、本当に」
つか嫌だったらあんなことしてないし、と、あなたのほうも見ずにペットボトルに口をつける。
「……わたし、弁償するから」
「しつこい」
「……クリーニング代だけでも、」
「消毒して洗えばまた着れるだろ。何も破れた訳じゃないんだし。なぁ、そんなに喋れる余裕あんならグラウンド戻れば?」
鬱陶しそうにあなたを睨みつけ、少し置いてから「黙って寝てろよ」と顔を背けた。
いいって……いいわけ、ない。人の衣服に吐いておいて、気にするななんて……。
「……どうして、あんなことしてくれたの? 普通あそこまでしないよ……友達だって……私たち、話したことさえあんまりないのに」
「あんたって結構お喋りだったんだな。意外」
「……どうして? 岸本くんが学級委員長だからって理由ではないでしょう?」
「そのしつこさも意外だわ。人って見た目によらないね。……ああ、いや、あんたは見た目通りか」
半分ほど飲んだペットボトルを、テーブルの上に置いた。
「べつに……本当に、何でもないよ。何も考えてない。ただ、具合悪そうにしていた女がちょっと気になってたクラスメイトだったから、ってだけ。ああ……あと、あの授業ダルかったし。あちー疲れたー水飲みてーって思ってたんだよね」
「……気になってた? 私が? なんで?」
「あんた、さっきから『なんで』『どうして』ばっか」
こっちも見ずに、淡々と喋り続ける。
「俺と同じなのに、俺と違うなーって思ってさ」
「……何が?」
「目」
「め……って、この目? いや……全然違うと思うけど」
「はっ」
鼻で笑われた。岸本くんってこんな、他人を馬鹿にしたような笑い方する人だったんだ。
「あんた、初めて見たときからずーっと思ってたんだ。俺と同類な気はするのに、どこかちぐはぐな感じがして変だなって」
「……な、何を言ってるのか全く……」
「なぁ、なんで体育休まなかったの?」
「え、」
「あんたの体調が悪いことなんて見たらすぐ分かるよ。朝からずっと顔青白かったし、授業中もフラッフラだっただろ。あれで絶好調、なんつーほうがおかしいって。いくらサボりに厳しいあの教師でも許してくれた、絶対」
「……なんでだろ。ご飯、食べたから何とかなるって思ったのかな?」
「食べたって、ほんの少し摘まんだだけだろ? ほとんど食ってなかったじゃん」
見てたのか。いや、なんで?
「……お母さん、せっかく作ってくれたから。少しでも食べたくて」
「……食わないと、怒られんの?」
「そうじゃないけど……でも、悲しいでしょ。娘のためにせっかく作ったお弁当……どんな事情があっても、ひとくちも手つけてなかったら、きっと悲しむと思う」
そう言うと、彼はしばらく間を置いてから、眉間に皺を寄せた。
「はっ……だから、食べたんだ? 無理にでも、吐きそうなほどしんどいのに。……母親の、他人のために」
そう、ぽつりと呟く。
他人って……まあ確かに他人だけど……。
彼が、急に立ち上がる。
「よく分かったわ」
「……?」
「あんたが俺と違うところ。思っていたよりずっと馬鹿だった」
「えっ」
「嫌いになったわ。大嫌い」
「えっ……!?」
「死ね、クソ女」
そう憎々しげに吐き捨てて、保健室を出て行った。
あなたは自分に親切にしてくれたクラスメイトから突然ぶつけられた暴言に、ぽかん、とするしかなかった。
体調は、良くなりつつあったのに。
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