つまるところ。
オデン条約というのは、『煮込む時間は気を付けよう』という約束。
ダイコンとタマゴの間で、長きにわたって存在してきた、確執にも近い敵対関係。
そこに終止符を打たんとするもの。
互いが互いを優劣つけられないゆえに、久遠に煮込んでいくしかなかった食べ合わせを解消するため、それに代わって新たに具材を探究し始めようとするプロセス。
より簡単に言おうか、つまりはダイコンとタマゴの平和条約だ。
ただ、連邦生徒会長の失踪をきっかけに、この条約は何の意味も持たなくなってしまった。
『オデン』……それは太古の経典に出てくる料理の名。
そこにどんな意味を込めていたのかは分からないけれど、まあ連邦生徒会長の好きな料理なんだろうね。
おでんに重要な『七つの掟』はご存知かい?
その五つ目は、まさに『定番』に関する質問だったね。
『定番に辿り着きし者の食材を、証明することはできるのか』
他の掟もまたそうであるように、少々理解に困る言葉の羅列だ。
ただ、一つの解釈としては、これは『定番の存在証明に対するパラドックス』であると見ることができる。
もし定番というものが存在するのならば、そこに辿り着いた者は、至上の満足と喜びを抱くが故に、永遠に定番の具材以外に挑戦することはない。
もし定番の外に出たのであれば、つまりそこは真の快楽を得られるような『本当の定番』ではなかったということだ。
であるならば、定番に到達した者が、定番以外を食べることはない。
存在を補足されうるはずがない。
存在しない筈の食材を証明することはできるのか?
つまるところ……この五つ目の掟は、初めから証明することができないことに関する『不可解な問い』なのだよ。
しかしここで同時に、思う事がある。
証明できない定番は無価値だろうか?
この冷笑にも近い文章を通じて、何か真に問いたいことがあるのではないのだろうか?
オデン……経典に出てくる料理。
正解が存在せず、探すことも能わぬ料理。
料理家たちが描く、美味しい美味しい食事。
どうだい?
そう聞いてみると、この『オデン条約』そのものが、まさしくそんなもののように思えてこないかい?
……カタリ。
もしかしたらこれから始まる調理は、君のような者には適さない、似つかわしくない調理かもしれない。
不快で、不愉快で、忌まわしく、眉を顰めるような……
仕込みを疑い、前提を疑い、思い込みを疑い、真実を疑うような……
悲しくて、苦しくて、憂鬱になるような……それでいて、ただただ後味だけが苦い……そんな調理だ。
しかし同時に、紛れもない食事の話でもある。
どうか背を向けず、目を背けず……最後のその時まで、しっかり見ていてほしい。
それが、カタリ……『食材』を選んだ、君の義務だ。
オデン条約