(───黒川イザナは、兄が欲しかった)
(物心ついた時から、イザナは誰かに愛された記憶がない。父親が死んだのがいつなのかすら覚えていない。家の中は常に静寂に満ちていて、母は仕事で家にいる時間の方が少なかった)
(取り残された妹と一緒にテレビを見て、腹が減ったら用意されたパンを食べ、眠くなったら布団に潜る。ただそれだけの繰り返しだったが、イザナはそれを不満に思ったことはなかった。妹は自分に懐いていたし、ある程度は自分で何でも出来たからだ)
(幼いながらも、イザナは自分が母親から疎まれている事に気が付いていた。それでも母は自分に手を上げることもなかったし、ちゃんと名前で呼んでくれた。気が向けばオヤツをくれたし、笑いかけてくれることもあった。──妹と明確な差があることも自覚していた。それを愛と呼ぼうにも、妹を見る母の目と、自分を見る目がまったく違うのだ。『こんなもんか』。イザナはそう思いながらも、彼なりに家族を大切にしようとしていた)
(───『強く生きなさいよ』。自分が施設に入れられることが決まった日、母は初めてイザナを泣いて抱きしめた。それがとても嬉しかったから、イザナは『行きたくない』なんて、口に出そうとも思わなかった。妹のエマだけが祖父の家に引き取られると知っても、その気持ちは変わらなかった。……きっともう、母が自分に会いに来ることはないだろう。そう思いつつも、もしかしたら──と期待していた。だって自分たちは離れていても、生まれながらの『家族』なのだ。血が繋がっているのだから、いつかまた、きっと一緒に暮らせる。イザナは漠然とそう思いながら、児童養護施設での生活を送っていた。)
(施設の中はいつも騒がしい。自分と同年代の子供も、うんと下も上もいる。その誰もが何かしらの原因で此処にいる。──自分もきっと、似たり寄ったりなのだろう。だからこそ誰かと仲良くしようとは思わなかったし、自分から声をかけることもしなかった)
(庭を楽しそうに駆け回る子供たちを、イザナは中からぼんやりと眺める。閉め切っている窓のせいで、彼らの声は聞こえない。──まるで自分だけ、世界に取り残されてしまったかのようだ)
(──もし自分に、兄がいたら。こんな自分の手を引いて、笑いかけてくれるのだろう。優しく自分の名前を呼んで、甘やかしてくれるのだろう)
(そんな空想を施設に来てから、よく思い描くようになった)
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