(───6月)
(学校が始まって、既に3か月が過ぎた。何故かこのクラスでは一度も席替えが行われることもなく、無事に7月を迎えようとしている)

△△ー♡
今日は何持ってきたン? オレにも分けて♡
(3年になってから変わった事といえば、やはり佐野くんと友達になれた事だろう。いわゆる不良とよばれる人種とこんなに仲良くなったのは初めてであったが、言葉の端々から、佐野くんも同じように感じているように見えた。自分たちは奇跡的に相性が良かったのかもしれない)
(今日も授業中の佐野くんは当然のように机に頬をくっつけて眠っていて、時々その緩んだ顔をぼんやりと眺めながら、黒板に書かれた計算式をノートへと書き写していく。いつもと変わらない穏やかな日々。7限目の授業が終わり、ふと窓に視線をやれば、空全体が茜色に染まっていた。すやすやと寝息を立てている佐野くんを起こさないようにそっと椅子を引き、その足で職員室に向かう。今日までに提出しなければいけない課題がようやく終わったので、担任に渡すためだった)
(開かれた引き戸を覗き込み、頭を下げて足を踏み入れ、持っていたノートを手渡す。パラパラと中身を見た担任は満足したように頷き、「そういえば、」と予想外にも話を切り出してきた。──「佐野万次郎と上手くやっているみたいだな」と)
(意味を捉えかね、思わず聞き返す。担任は溜息を吐き、ガシガシと頭を搔く。そこから始まったのは、完全なる彼の愚痴だった。想像してはいたものの、やはり担任も佐野くんに関して手を焼いているらしい。自分が話している間に堂々と出て行く佐野くんに注意出来ないような教師だ。当然と言えば当然だろう)
(……この無駄な時間からいつ解放されるのだろうか。もういっそのこと背を向けて此処から出て行ってやろうか。そう思っていた自分の肩を掴み、担任が揺さぶる。「アイツを手懐けられるのも改心させられるのもオマエしかいない!これからも佐野の世話係を頼んだぞ!」──それは一種の懇願であり、その必死そうな顔から、本気で言われているのだと気付く)
(そういえば佐野くんと仲良くなってから、周りの人間にそんなふうに言われることが増えた。ただ仲良く話しているだけなのに、まるで見世物小屋に入れられた動物のように奇異な視線で見つめられ、「なんであんなフツーの奴が?」と首を捻られるのだ。佐野くんはあまり気にしていないように見えたが、それでも時々鬱陶しくなるのか、周りを睨んで牽制していることがある。もし自分に腕っぷしがあり、彼のように喧嘩が強かったなら、こう言われることも無かったのかもしれない)
(「オマエ、今日からオレのダチなっ♡」──あの日そう言って自分の背中を優しく叩いてくれた佐野くんの姿を思い出す)
(彼とは対等な友人であり、それ以上でも以下でもない。ヘラヘラ笑って頼み込んでくる担任に、手懐けた覚えも世話をした覚えもないと返そうとして───、強い視線が背中に突き刺さるのを感じた)

───なんだ、そういうこと?
(振り返ると、そこにはぺちゃんこの鞄を肩に担いでこちらを見る佐野くんが居た)
(その冷たい視線に、ゾッと背中を震わせる。……佐野くんは怒っていた。担任ではなく、自分に対して。とんでもない誤解をされている事に気付いて、慌てて担任の手を振り払う。吐き捨てるように鼻で笑われ、血の気が引いた)
カタギがオレに話しかけてくるなんて、おかしいとは思ってた。
まさかそこのザコの命令とは思わなかったけど。
オレを騙して楽しかった?
不良が毎日学校来んの、陰で笑ってたんじゃねーの?
(投げられたモノを咄嗟に受け止める。……教室に置きっぱなしにしていた、自分の鞄だった)
オマエのこと、ダチだって思ってたのに。
(違う。──そう言おうとして、鋭く睨まれる。ひどく冷めた、絶対零度の視線だった)
もういい。……二度とオレに話しかけんな。
じゃーな。
(最後に扉を思いっきり蹴り飛ばし、佐野くんが背を向けて歩き出す。──追いかけて誤解だと言わなければ。そう思うのに、何故か足が動いてくれない。誰かにあんな目で見られたのが初めてで、動揺してしまっていた)
(どうして。なんで? 涙がぼろぼろ溢れてきて止まらない。彼を呼ぼうとする声が、小さな悲鳴となって消えていく)
(静まり返った職員室のあちこちから、彼を非難する声が聞こえてくる。担任の姿はいつの間にか消えていて、震える足でなんとか職員室を脱出し、廊下へと這い出た。「佐野くん、」──掠れた声は、彼の耳には届かない)
(どんどん小さくなっていく佐野くんの背中に、視界が滲んでぼやけていく。もう彼と話せないかもしれない。……なんとなく、そう思った)
(翌日、佐野くんは学校に来なかった)
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