(佐野万次郎が学校に行かなくなって2週間。彼の心はドス黒い感情で埋め尽くされ、その"衝動"の思うがまま、他のチームから喧嘩を買っては暴力を繰り返していた)
(───裏切られた。悲しみが彼の胸中で渦巻く。△△○○が職員室に行っているところを見たと聞き、一緒に帰るついでに迎えに行ってやろうと足を運んで───彼女が教師に頼まれて、自分と仲良くしているのだと知った。その言葉を聞いて最初に思ったのは、あぁ、やっぱりなという諦めだった)
(佐野万次郎は、幼い頃から周りに恐れられていた。その類稀なる喧嘩のセンスと身体能力に、いつの間にか『無敵のマイキー』と呼ばれるようになってから数年。もはや仲間以外に彼に近付く者はおらず、周りの人間は色眼鏡で自分を見る。それでも佐野万次郎は不良である自分に誇りを持っていたし、いつかは死んだ兄のようになりたいと思っていた)
(そんな時に現れたのが、隣の席の△△○○だった。初めて会った時から彼女はどこかおかしくて、自分を見て怖いと感じるどころか、逆に笑顔で近付いてきた。距離感の無い奴だと鬱陶しく思っていたが、とある出来事をキッカケに、自分から友人になろうと決めた)
(一緒に居る時間が増えるたびに思う。彼女はやはりどこか変わっていて、いつもニコニコ笑って楽しそうだった。自分が何か言えば必ず反応してくれるし、毎日のように好物を渡されるし、何よりも自分の名前を嬉しそうに呼ぶ彼女の存在に、いつの間にか絆されていた。……だからこそ、彼女の裏切りはとてつもなくショックで、悲しかった)
(事の顛末を親友に伝えれば、訝しげな顔をして「あの△△が…?勘違いじゃねーの?」と言われた。もう一度ちゃんと話し合えとも。……佐野万次郎もそうしたいのはやまやまだったが、あんな啖呵を切っておいて、今さら話し合うことなど出来ない。だからきっと、自分たちはもう二度と友人には戻れないのだ。──その鬱憤を喧嘩で晴らそうとしたところで、忘れられるはずがないのに)
(もう何もかも、消えてしまえばいい)

(だからその日も、喧嘩をした。目の前に居る相手チームの総長をひたすらに殴りつけながらも、佐野万次郎の意識は別の場所にある)
(──彼女は今日も、学校に行ったのだろうか。自分が居ないと寂しいと言っていたが、今頃は自分を忘れてクラスメイトと楽しく笑い合っているのだろうか。……気に食わない。思わず大きく拳を振り上げ、怒りのままに殴打を繰り返す。顔に血が飛んでくるのも構わずに、ただ無心で拳を振るう。そこに躊躇など無かった。……相手が死んだところで、自分に失うものなど何もない)
(そんな自分の思考を引き戻すように───ガシャン、と。耳に飛び込んできたフェンスを叩きつけるような音に、眉を顰めて顔を上げる)

────△△?
(そこには、ずっと思い描いていた彼女が居た。泣きそうな顔して、その口が音も無く何度も開閉するのを呆然と見つめる)
(殴っていた手が自然と止まる。彼女は覚悟したように大きく息を吸い込み、自分に向かって叫んできた)
「明日!迎えに来てくれるの待ってるから!!」
(ただそれだけを叫んで、よろよろと走り去る彼女を見送る。──今のはなんだ?まさか自分に言ったのだろうか。佐野万次郎は混乱しながらも、投げかけられた言葉を必死に反芻する)
………明日。迎えに……?
(意味が分からない。そう思うのに、心は諦めてくれない。佐野万次郎は何度も呟きながら、その言葉の意味を探る)
(──今でも△△○○は、自分を友人だと思っている?)
(「勘違いじゃねーの?」。今日此処には居ない親友の声が頭に響く。まさか。ハッと立ち上がった時には、彼女の姿はもう見えなくなっていた)
(もし本当に、勘違いなら。佐野万次郎はよろよろと足を踏み出し、一人静まり返ったその場を後にする。喧嘩など今はどうでもよかった)
(歩きながら空を見上げれば、いつか彼女と海に行った日と同じように、一面が綺麗な茜色に染まっている。なんだか今なら何だって出来そうな気がして、佐野万次郎は大きく頷き、家に向かって駆け出した)
(明日、ちゃんと話をしよう。そうして彼女と仲直りをして──あの日の事を、謝らなければ)
(───そう決意した瞬間に、ドン、と遠くで鈍い音が聞こえて)

………あれ?
オレ、今……なにしようとして…。
そうだ、アイツと仲直りしたくて……。
─────? アイツって、誰だっけ。
(風に髪を靡かせながら、佐野万次郎は呟く。……その心にぽっかりと空いた穴の正体を、彼はもう二度と取り戻せない)
(そうして人知れずに"この世界"から消えた彼女は、一人の少年の心に影を落とした。──それがどんなに強く根深い物だったのか、お互いに知らないまま)

まぁいいや。明日はどこ潰そっかな。
(そう呟いて再び顔を上げた彼の瞳は、泥のように澱んでいた)