名前:佐野万次郎

マイキーの頭を181回なでなでした

もふもふ





(今日もいつもと変わらない日だった。仕事帰りで疲れ切った体を引き摺り、なんとか駅のホームへと辿り着く)


(この頃どうにも夢見が悪いせいか、常に頭がぼんやりしている。まるで霧がかかったように意識がはっきりしない。そのせいで小さなミスとはいえ、仕事にも支障をきたしている)


(ホームに流れている放送によれば、そろそろ電車が来るようだ。片手で適当に弄っていたスマホをポケットに戻し、顔を上げようとして───突然耳元で囁かれた言葉に、大きく目を見開いた)




「オマエの世界は"此処"じゃないだろ?」



(知らない男の声だった。……酷く懐かしい声だった)

(そういえば子供の頃に意識不明の重体で入院していた時、どこか見知らぬ学校に通う夢を見ていた。綺麗な髪を風に靡かせてふわふわと揺らしていた隣の席の彼は確か一番の仲良しで、その声によく似ていた気がする。一緒に居るのがあんなにも楽しかったのに、もう顔も名前も思い出せない。──ずきり、と急に襲い掛かってきた頭痛に歯を食いしばる。思い出すことを体が拒否しているのか、頭が割れるように痛い)

(声の主を確かめることも忘れて眉をしかめている間に、ドン、と強く背中を押されて、ぐるりと体が反転した)


(──地面が無い。それを理解した瞬間、ドッと全身から冷や汗が噴き出る。近くで誰かの叫び声が響く。──ウソ。咄嗟に伸ばした手がむなしく宙を掻き、重心が後ろへと吸い込まれていく)



(このままだと、私は───)










「約束通り迎えにきたよ、」



(まるで世界に取り残されて、一人ぼっちになってしまった子供が、助けを求めるような声だった)


(自分の名前を呼ぶ男の顔は見えない。……けれども私は、確かに彼を知っている)





(彼の後ろで、ピンクゴールドの髪をした少年が泣いているのが見えて───横から来た衝撃に、女の意識は掻き消える)






(次の瞬間、そこには何もなかった。叫び声を上げたはずの男は、自分は一体何に驚いたのだろうと首を傾げ、何事もなかったように到着した電車へと乗車する)




(そうして誰にも知られることのないまま、一人の人間が"元の世界"に別れを告げた)