名前:佐野万次郎

マイキーの頭を181回なでなでした

もふもふ


(───ぱちぱちと、火が爆ぜる音がする)








……ハァ、めんどくせーな。


(闇の中、少年が右手を翳して空を撫でる。途端、瞬く間に生まれた炎がヒトの体を焼き、それらがもがく姿を、彼はじっと見つめていた)




(友人が死んだ。人間が決して逃げられることのない老いに負け、寿命を迎え、死に至った。だからもう、少年が村を守る理由はどこにもない。モノノケと呼ばれる万次郎に、本来情など存在しない。彼は村を身限り、今まさに出て行こうとしていた)

(そもそもこの寂れた村の土地神として祀られることを良しとしていたのは、その友人が万次郎にとってかけがえのない相手だったからだ。「妖怪も人間も変わんねーし、ずっとダチで居て欲しいっス!」──そう言って笑う美しかったはずの空色の瞳を、もう二度と見ることはない。荼毘に付され、燃え尽きた後はただの砂だ。彼が生き返ることなど、未来永劫ありえない。だから自ら祭壇を壊し、村から離れた。これ以上ここにいても、友人は帰ってこないのだから)


『───!』


(その身を焦がしながらも、追ってきた男の口からこぼれ落ちたのは神としての自分の名前。頭を地面に擦り付け懇願されても、万次郎の表情は動かない。無機質な目から放たれる視線が、ただ男の頭へと注がれる。村のため、子孫のため、どうかこれからも村を守り続けて欲しい。ただそれだけを繰り返して土下座する男に、万次郎はふと真上にのぼる月を見た。……友人と分け合って食べた、あの日の団子によく似ていた)

(死んだら人は皆空へと還るのだという。もし彼が空の上から見ているとして、か弱い村人を捨て、出て行こうとする自分を、軽蔑するだろうか?)

(それはなんとなく、嫌だなと思った)



(村に戻る条件として、毎日何かしらの食べ物を献上すること。それを守らない場合、すぐにでも守護を取りやめること。契約は百年。それまでに新たな土地神を探すこと。万次郎が出した条件に、村人はただ平伏してそれを受け入れた。時が経ち、万次郎の姿を見ることが出来る人間がひとり、またひとりと減り、遂には潰えても、その決まりは村の掟としてしっかり守られた)

(そんな律儀な村人にほんの僅かに絆された万次郎は、百年を過ぎてもこの村を守り続けていた。相変わらず話せる相手は居ないしつまらない毎日ではあるが、穏やかな日々には変わりない。森の奥に造られた祭壇には、今日も献上品が納められている)




(そんなある日の夜。妙に慌ただしい村の様子に、万次郎は首を傾げて寝床である祠から身を乗り出した。微かに聞こえてくる怒号と足音。仲間割れでもしたのだろうかと欠伸をしながら地へ降り立つ。騒がしい方向へとのんびり足を進めていれば、ひとりの女が鬼の形相で走ってくるのが見えた。……村の人間ではない。どうやら着の身着のまま逃げてきたらしい。息を切らし、それでも気力で走り続けようとしている。──その揺らぎない眼光に、万次郎は息を呑んだ)

(瞳の色など似ても似つかない。それでも──)







……………。



(しかし健闘虚しく、女はその場にへたり込んで気絶した。限界だったらしい。女が走ってきた方向からは変わらず怒鳴り声が響いている。このまま放置すれば、きっと女は回収されてしまうだろう)

(ふらり、と無意識に足が動く。何故村人がこの女を追っているのかは分からない。けれども抱き上げた体はあたたかく、欠けていた胸の奥がほんの少しだけ埋まったような気がした)


(前髪の隙間から一瞬だけ見えた瞳が忘れられない)


(──この女の側にいれば、失ったモノの代わりに、何かを取り戻せるかもしれない。そんな予感がした)