※手癖の文
※“あなた”が喋る
ひらり。視界の端で桜の花びらが翻った、気がした。
咄嗟に振り返るも、桜色が見付かることはなくて。ただ、寒そうな姿をした並木が並んでいる。
そのまま来た道を眺めていれば、先を行くその人から「どうしたの」と声が掛けられた。
「何か落とした?」
「いえ……多分気のせいだと思うんですけど、桜の花びらが飛んでた気がして、つい」
「え、桜? いやぁ、まだ時期じゃないんじゃ──あぁいや、今年は妙に暖かい日があったからなくはないのか?」
「あー……」
同意とも付かない声を上げながら、曖昧に頭を揺らした。
確かに今年の江戸は、二月に夏日を観測した日があった。二月なのに。冬なのに。
けどまぁ、それならばどこかの桜が先走ってしまうのも仕方がないだろう。もう一度だけ辺りを見回してから、それ程離れてはいない位置で止まっていた山崎さんの方につま先を向けた。
並んで歩いて、話して、風に吹かれてもみくちゃにされて、その後の互いの髪型を見て笑って。いつも通りに過ごす春の昼下り。こうして過ごすのも何度目だろう。そんなことを考えながら曲がったのは三つ目の角だったか、四つ目の角だったか。
然程変わらない歩幅を、それでも少し緩めながら歩く山崎さんが、「それにしても」と口を開いた。
「いつの間にやら三月だねぇ」
「もう一週間は過ぎましたけど」
「それは言わないお約束」
「誰との約束なんです?」
「んー、俺?」
「してませんけど、私」
「まぁまぁ」
信号が瞬く。足を止める。
「いやさ、さっきの桜の話から思い出したんだけど、もう卒業式も終わって新学期──新年度が近い訳でしょ? 早いっていうか、実感がないなぁって」
「それはまぁ、確かに」
トントンと話は進む。かかとを鳴らす。
「二月は冬なのに、三月は春ってのも変な感じがしますよねぇ」
「というと?」
「“というと”? ……あー……冬の方が『終わり』って感じがするのに、いざ終わるのは暖かくなってからと言いますか」
「なるほど、それは確かに」
歩行者信号が青になって、足を踏み出して、腕を引かれた。眼前を自転車が横切っていく。見上げた先の顔は自転車を追っていた。
「……大丈夫?」
「は、い」
「なら良かった。危ないよねぇ、ああいうの」
「はい」
「今度見かけたら切符切ってやらねぇと」。そんな言葉を聞きながら、腕を引く力が存外に強かったことを思う。忘れそうで忘れない、男女の力の差。
「……まぁ、三月は終わりってだけじゃないですけどね」
「入社式とか?」
「出たことあるんです?」
「ないけどさ」
横断歩道を渡りきって、また通りを歩く。人通りはあるようでない。ないようである。そういえばこの先を行くと、行きつけのスーパーがあったっけか。
「ホラ、春は出会いの季節って言うでしょ?」
「山崎さんにも出会いがあったんですね」
「あったよ」
「え?」
声の元に目を向ければ、今度は視線が合った。見慣れたタレ目が、細い黒目が私を見ていた。
「去年の今頃、“きみ”と会った」
「……そう、でしたっけ」
「きみが覚えてなくても、俺がこのあたりに来たのは去年の今日なんだ」
軽く指さされたのは公園。そういえば、迷子になって山崎さんに助けてもらったこともあったっけか。子供が駆けるその場所から連想するように、そんなことを思った。
「……そうなんですね」
「うん」
サァと風が吹く。どこかの木々が落とした木の葉が踊る。
「だからまぁ、何というか……こういうの、らしくないかもだけどさ」
「山崎さんの“らしい”時っていつですか?」
「そういうのは言ってからにしてよ!」
「はは、すいません」
「もう……とにかく、○○さん」
「はい」
「俺と出会ってくれて、ありがとう。これからもよろしくね」
そう言って、山崎さんは笑った。いつも通り、気の抜けたようなへにゃりとした顔で笑っていた。
(2024/03/11) “広場”できみとあった日。
小話_出会いの日