(数日前、彼女の住所を突き止めた。
今度こそ名前を知りたい、と竜胆は意気込んでいた。六本木からバイクを飛ばし、彼女が住むアパート前までやってきた。

今の時間帯は昼。日中外で働く社会人のほとんどは家を留守にしているだろう。
竜胆はこの時間帯を狙っていた。確実に彼女がいない、この時間を)

確か、この階だったよな

(予め携帯で撮っていたアパートの外観を見ながら、この間の記憶と照らし合わせて彼女の部屋を探していく)

…お、ここか?

(○○号室。名札はついていないが恐らくここが彼女の部屋だ。

確認のため、ドアノブを回してみる。
ガチッという音がして、ドアは…開かなかった。

よしよし、ちゃんと鍵がかかっている。
もし開いていたら『ちゃんと防犯しろ!』と書かれた張り紙を貼ってやろうかと思った。
竜胆はホッとしたような、少し残念なような、複雑な気分になった)

(最後に郵便受けを確認してから帰るつもりだった。
目当ては勿論…彼女の名前が書かれた封筒や郵便物だ。

○○号室、○○号室…
頭の中で彼女の部屋番号をリフレインさせながら郵便受けを探した。

…見つけた。ここだ。
竜胆は郵便受けの取っ手に手をかけたが、その瞬間ハッとした。

そうだ。最近の郵便受けは防犯や個人情報保護のために鍵付きであることが多い。このアパートも例に漏れずそうだった。
しかも、万が一鍵がかかっていなかったとしても郵便物が入っていなかったら?

チッ、と思わず舌打ちをする。ここまでやって名前を知ることができないなんて。
全く…世の中が物騒なせいだ。だからこんな鍵なんてものが必要になってくる。

竜胆は自分が今、何をやっているのか忘れたまま脳内で愚痴をこぼした。

半分諦めかけながら郵便受けを開けようとする。もういっそ鍵なんて壊してやろうか、と思っていたら…)

……開いた

(驚いた。鍵はかかっていなかったのだ。
しかも中を見るとバッチリ光熱費の請求書まで入ってる。

ラッキー!

竜胆は大いに喜んだ…が、次の瞬間顔をしかめた)

(この女、鍵かけてねえのかよ。
危ねえだろ。ストーカーや変態野郎に郵便物漁られたらどうすんだ)

(そんなことを思いながら請求書の名前を確認する。

『○○』

その名前を目にした瞬間、思わず口に出していた)

……○○

○○、か…

(ぽつりと呟くように声に出せば、不思議と胸がじんわり温かくなる感じがした。

○○。あの日、あの公園で出逢った女の名前は○○。
口角が上がる。今の感情を一言で言い表すなら『嬉しい』だった)

(嬉しい。嬉しい。嬉しい。

お前、○○って言うのか。
ここの○○号室に住んでいて、オレより年上で、ビビリなくせにお節介で、困った顔がやたら可愛い)

(竜胆は目を細め、彼女の名前が載っている請求書に微笑みかけた。

ガタンと急に何かが動いたような音が聞こえて、ほんの少しだけ飛び上がる。
見れば、女がひとりアパートに入ってきていた。ここの住人だろうか。

竜胆と目が合った瞬間、女は少し慌てたような、照れたような感じで「こ、こんにちは…」と挨拶する。それに対して竜胆は目を逸らしながら「チワ」と素っ気なく返した。

女はこっちをちらちら見ながら二階への階段を上がっていった。
鬱陶しい。が、こんな視線は慣れているので特段気にすることもなかった。

…もし、今のが○○だったら?
不意にそう考えて、竜胆は動きを止めた。

こんにちはと声をかけられて、自分はどうするだろう。
きっと「あ、」とか「う、」とか、そんな情けない言葉しか出ない。何となくそんな気がした。)

(郵便物を戻し、その場を後にする。
外まで出て数歩歩いてから竜胆は振り返った。

アパートを見上げ、何を思うわけでもなく彼女の部屋をじっと見つめる。

『○○』

何度でも言いたくなる名前だった。
○○、と小さく口に出せば、それだけで謎の幸福感で満たされていく。不思議だ。

きっと今ごろ仕事中で、忙しなく動き回っているのかもしれない。もしくは昼食を取っていて、自分に声をかけたあの口で何か食べているのかも。

そう考えたら自然と笑みがこぼれた)






また来る、な。○○

(自分から出た声が、自分では信じられないほど甘く優しいものだったということに竜胆は気づかなかった)
三回目